1980年代初め頃のポール・サイモンは
映画「ワン・トリック・ポニー」で想ったような評価を得られず
音楽制作もその映画のサントラとして位置づけられて売れず
私生活ではレイア姫のキャリー・フィッシャーとの恋愛に疲れ
やっとファンを喜ばせたのは1981年のNYセントラルパークでの
ガーファンクルとのライヴくらいでした。
このライヴもはじめはポール・サイモンのコンサートに
アート・ガーファンクルがゲスト的に出演する予定だったそうです
しかし、「時の流れに」から5年もアルバムを出していなかったポールの新作よりも
ファンはサイモン&ガーファンクルの再現を期待していることは明らかでした
ポールの方がS&Gの前座になってしまいかねないということで
ガーファンクルとのフルライヴにしたのだそうです。
パッケージもS&G再結成ライヴとして鳴り物入りで
日本でもゴールデンタイムに放送されました。
その後の世界ツアーも大成功でした。
契約したものの映画もレコードも不調続きのワーナーは
当然のごとくガーファンクルとのスタジオ録音を企画したと思うのですが
スタジオに入った旧友たちはすでにそれぞれの音楽性を突き進んでいて
折り合いがつかず、結局デュオのスタジオ録音は完成されませんでした。
そのときに用意された曲も含めて制作されたのが
1983年のアルバム「ハーツ・アンド・ボーンズ」です。
ポール・サイモンの仕事としてクオリティは保たれていると思いますが
セールス的にも振るわず、正当な評価が得られなかった作品です。
ポールはその後、「ウィー・アー・ザ・ワールド」で顔を観ましたが
再び音楽シーンの第一線に復活するのは
1986年の「グレイスランド」まで待たねばなりませんでした。